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第34段◆菩提といふ寺に

  才女らしい返信のワザ

日常

菩提という寺で、仏道に帰依する八講(はっこう・法華経8巻を朝夕2座講じて4日間で完了する法会)があったので参詣したが、ある人から、
「早く帰って来て。あなたがいないとつまんない」
と連絡が来た。

私は蓮の葉の裏に、
「もとめてもかかる蓮の露をおきて 憂き世にまたは帰るものかは」
(※帰りを求められても、こんな蓮の露(仏道の功徳)を捨て置いて、浮世にまた帰ろうとは思えないわ)
と書いて返送した。

まったく素晴らしい説法だったので、今すぐ出家したい気分に。本を読むのに夢中になって家に帰るのを忘れてしまった湘中老師(そうちゅうろうし)の故事のように、帰りを待つ家人のもどかしいキモチなんてすっかり忘れてしまったわ。

蓮の葉
▲蓮の葉のうらに「もとめてもかかる蓮の露をおきて憂き世にまたは帰るものかは」と書きてやりつ。

第35段◆小白河といふ所は【前編】

  貴公子のナンパの話と思いきや

宮廷サロン日常悲哀

小白河殿(こしらかわどの)という名のお屋敷は、藤原済時(ふじわらのなりとき・小一条大将)の邸宅である。そこで上流貴族たちによって仏道に帰依する八講が行われた。
世間の人たちはとてもありがたいイベントだと噂して、
「遅れて到着すると牛車を駐車する場所にも苦労する」
と言っていたので、朝露が下りる時間に早起きして行ったのに、マジで混んでる!
停めるスペースが足りなくて、轅(ながえ・牛車の前方に長く突き出た二本の棒)の上に他の牛車の轅を重ねているありさまで、前から三列目の牛車くらいまでなら説法の声が少しは聞こえるかしら、ってくらいに混んでいた。

その日は六月の十日過ぎで、前例のない猛暑。池のハスを見れば、そこだけは涼しげな感じがする。左大臣と右大臣以外は、あらゆる上流貴族が出席していた。
皆、二藍(ふたあい・写真参照)の指貫(さしぬき・袴)、直衣(のうし・皇族や貴族の平服)姿で、浅黄(あさぎ・写真参照)の帷子(かたびら・夏用の麻の着衣)を透かせる着こなしをしている。

もう少し大人の世代の人たちは青鈍(あおにび・写真参照)の指貫に白い袴姿で、これも大層涼しげだ。
藤原佐理(ふじわらのすけまさ・書の名人で三跡の一人)たちも皆、若く華やいで見えてありがたいことこの上なく、見る価値ある光景だったわ。

二藍・浅黄・青鈍
▲二藍の指貫、直衣、浅黄の帷子どもぞ透かし給へる。少し大人び給へるは青鈍の指貫、白き袴もいと涼しげなり。

廂の間に懸かっている簾を高く巻き上げて、下長押(したなげし・第23段の写真参照)の上に公卿たちが奥に向かってずらっと座っている。
その隣の間には殿上人(てんじょうびと・四位や五位以上の貴族)や若い公達(きんだち・親王や諸王、摂関家の子弟)といった人たちが、狩衣(かりぎぬ・一般公家の日常着)や直衣などをバッチリ着こなしているけれども、どうも落ち着かないようだ。ここかしこをうろうろ立ち歩いているのも、キュートな感じ。

藤原実方(ふじわらのさねかた・清少納言の恋人だったとも言われている人物)や長明侍従(ちょうめいじじゅう・藤原相任・済時の子)たちはこの家の子なので、少しは出入りも慣れた感じ。
まだ子供の若君なんかも、とってもかわいい。

少し陽が高くなったころ、今では関白になっている三位の中将の藤原道隆(ふじわらのみちたか・中宮定子の父)が、丁子(ちょうじ・クローブ)で染めた薄手の二藍の直衣を着て、二藍の指貫と濃蘇芳(こきすおう・写真参照)の下袴を穿いて、ピシッとした艶のある白い単をお召しになって入って来られた。
皆が涼しそうな服装なのに逆に重厚な装いだったので、暑苦しいかと思ってしまいそうだけれど、とても立派に見えたのね。

ホオノキや塗骨(ぬりほね・漆塗りの扇の骨)など、それぞれ扇の骨の種類は違うものの、赤い紙を貼った扇を皆が扇いでいるので、ナデシコがたくさん咲いている様子に良く似ている。

濃蘇芳
▲香の薄物の二藍の御直衣、二藍の織物の指貫、濃き蘇枋の御袴に、張りたる白き単のいみじうあざやかなるを…

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