職御曹司(しきのみぞうし・中宮職の庁舎。写真参照)の西側にある衝立のある場所で、頭の弁(とうのべん・弁官と蔵人頭の兼任者)の藤原行成(ふじわらのゆきなり・書の名人であり三蹟の一人)が、長時間に渡って女房と立ち話をしておられたので、
「そこにいるのは誰なの?」
と尋ねてみたら、
「弁でございます」
とお答えになる。
「何をそんなに延々と喋ることがありましょう。上司の大弁の者が現れたら、その女房はあなたを放置して大弁のところへ行ってしまうのに」
こう答えたら、行成は大笑いして、
「誰がそんな事をあなたに告げ口したのだろうね。だからますます『俺を捨てないでくれ』と女房を口説いていたのに」
とおっしゃった。
頭の弁は特段目立つ真似や風流人ぶることをしない人で、ただありのままに振舞っていたものだから、女房たちは彼をただのフツーの凡人だと思っていたようね。
でも私はね、彼の思慮深い考えとかを看破していたから、
「並大抵の人ではございません」
と中宮定子にも申し上げていたし、中宮定子もそうお考えだったみたい。
頭の弁はいつも、
「『女は自分を愛してくれる者のために化粧をする。男は自分を理解してくれる者のために死ぬ(※下記参照)』と言うじゃないか」
なんて私と言い合ったりして、私のこともよく判ってくれているのね。
(※史記「刺客列伝」の「士爲知己者死、女爲説己者容(士は己を知る者の為に死し、女は己を説ぶ者の為に容る)」が出典)
「遠江の浜柳(※下記参照)」でいようと友情を誓いあっていた私たちだけれど、
若い女房たちは言いにくいことでも包み隠さず口走ってしまうものだ。
「頭の弁ってマジで相手したくないわ~。他の男の人みたいに和歌を詠んで楽しんだりしないし、ノリ悪いからつまんない!」
などと陰口を叩く。
(※万葉集「霰降り遠つ淡海の吾跡川楊刈れどもまたも生ふといふ吾跡川楊」 ◆遠い近江の静岡県を流れる跡川にある柳の木。いくら刈ってもまた伸びてくるという跡川の柳だ…が出典。切っても切れない仲という意味で使われていた)
それに頭の弁も女房たちを口説いたりしないし、
「私は目が縦に付いていて、眉も額のほうに生えて、鼻が横向きに付いてるような顔でも、ただ口元がキュートで、顎の下から首へのラインが綺麗で、声が変な人じゃなければ、きっと惚れちゃうね。そうは言いつつ、やっぱりすんごいブスはダメかも」
とだけおっしゃる。
だからこそ顎が細くて可愛らしさの欠ける女房は、そりゃもう頭の弁を敵のように嫌って、中宮定子にさえ彼の悪口を言っている始末なのよね。
頭の弁は中宮定子に取り次ぎを頼む際も、最初に取り次ぎを頼んだ私に依頼するし、私が局(つぼね・女性の居室として仕切った部屋)に下がっている時にでもわざわざ私を呼び出すほど。いつも局に来て用事を言いつけるし、私が実家に里帰りしている時なら手紙を寄越してきたり、いっそ実家まで来ちゃったりして、
「宮中への参内が遅くなるのなら、『頭の弁がこうこうだと申していました』と中宮定子に遣いを送ってください」
とおっしゃる。
「それくらいなら他にも人がいるのですから、そっちに頼めばいいのに」
とか言って取り次ぎ役を他の女房に譲ろうとしても、それはイヤなんですって。
画像引用:平成24年度松江市史講座(http://www1.city.matsue.shimane.jp/bunka/matsueshishi/kouza24.html)