正月一日、三月三日はうららかに日本晴れ。五月五日は曇った一日だった。七月七日は曇っていたものの、夕方には晴れてきて月は非常に明るく、たくさん星も見えた。
九月九日は明け方から雨が少し降って、菊の花に露がたっぷり。菊の着綿(きくのきせわた・菊の花に黄色の真綿を被せて、朝露を含んだ綿で体を拭くと無病でいられるという習慣があった)にも滴るほど濡れて、花の移り香も一層強くなっている。
夜の雨は朝方には止んだけれどまだ曇っており、ややもすれば再び降り出しそうに見える空もまた風情がある。
官位昇進の礼を帝に奏上する姿はカッコいい。下襲(したがさね・アウターとインナーの間に着るトップス)の裾を後ろに長く曳いて、帝の前に向かって立っている姿に惚れぼれする。拝礼して喜びの所作を舞っているのも。
今内裏(いまだいり・仮設の御所)の東の門を北の陣と呼んでいる。そこのナラの木が高く聳えていて、
「どれくらいあるのかしら」
などと言い合っていた。
源成信(みなもとのなりのぶ・かなりのイケメンで評判だった)が、
「根元から切り倒して、定澄(じょうちょう・やたら長身の僧侶)が使う扇子にすれば良いさ」
と言っていたところ、定澄が奈良の興福寺の別当(べっとう・長官)に任命されて挨拶まわりに参内した日に、近衛府(このえふ・宮中の警固や行幸時の供奉を担当した役職)からも源成信が列席していた。
定澄はただでさえ長身なのに、高い下駄まで履いていたのでますます背が高い。定澄が退出したあと、私が、
「なぜあの扇子を持たせてあげなかったのです?」
と聞くと、源成信は、
「そんなことまでよく覚えてたね」
とお笑いになった。
「長身過ぎる定澄に似合う袿(うちぎ・ロングコートのようなアウター)はない。背が低すぎるすくせ君(詳細不明)に似合う袙(あこめ・女児の中着)はない」とは、誰が言ったセリフだったっけか。おもしろい。