将来に大した望みもなく、ただただ真面目に生きて、作りものの幸福にしがみついていたいと考えるような人たちは、鬱陶しくって軽蔑したくなる思いがする。
やっぱりそれ相応の身分の人の子女ならば、宮中に出仕させ、社会の現実を見て習わせたいし、しばらくの間でも良いから典侍(ないしのすけ・後宮の次官)の役職にでも就かせてやりたいものだ。
宮仕えをする女性を浮ついていて悪いことのように言ったり思ったりする男性は、ホントに憎たらしいものだ。とはいえ、それもまた実にその通りだったりする。
言葉に出して語るも畏れ多い天皇陛下を筆頭にして、上達部(かんだちめ・三位以上の人)、殿上人(てんじょうびと・五位以上の人および六位の蔵人)、五位、四位などの人たちは言うまでもなく、女房の姿を見ない人はほとんどいない。
女房の供の者や、彼女の里から来る者、そのリーダー役の年長者、トイレ掃除をする者の供の者から取るに足りない卑しい者に至るまで、女房が彼女たちに見られることを嫌がって姿を見せないことなどこれまでにあったであろうか。
男性陣の場合は、そうでもないのかもしれない。
しかしながら男性でも宮仕えをするような者は、姿を露わに見られるのが世の常である。
かつて宮仕えした女房を「上」などと呼んで、かしずいて奥方に迎える場合に、宮仕えの前歴を不快に感じてしまうのはもっともなことではあるけれど、内裏の典侍などと呼ばれて時折内裏に参上し、葵祭りの使者として参列するのは栄えある名誉なことではないか。
そんな高い地位にありながらも家庭もしっかり守ることができる女性は、まして素晴らしい。
受領(ずりょう・県知事)が五節の舞姫(ごせちのまいひめ・大嘗祭や新嘗祭に行われる節会で舞いを舞う女性)を差し出す際にだって、宮仕えの経験があれば田舎くさいことを口走ったり、知ってて当然のことを尋ねるとかいう真似をすることもないだろう。やはり宮仕えをする女性は素晴らしいものだ。