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第8段◆大進生昌が家に【前編】

  恋愛不器用な男をあざ笑う話?

恋愛宮廷サロン

平生昌(たいらのなりまさ・正四位下の播磨守)の邸宅に中宮定子(ていし・第66代一条天皇の皇后)がお出ましになられるので、邸宅の東の門を四脚門(よつあしもん・門柱の前後に控柱を2本ずつ立てた門)に造り替え、そこから中宮定子の輿(こし)がお入りになる。

警備の役人の詰所も設置されていなかったため、北の門からは女房たちが乗った牛車がそのまま入ることができるだろうだと思っていた。だから人目に付くこともあるまいと、髪が薄い人もエクステを付けるとか手入れもせず、屋敷の玄関前にそのまま牛車を乗りつけて下車できると軽んじていたのだ。
ところが、檳榔毛(びろうげ・写真参照)の牛車のような大型の車は、門が小さくてつかえてしまって入られない。いつものようにムシロを地面に敷いて下車せねばならなくなってしまった。

なんとも腹が立つけれど、どうしようもない。殿上人(てんじょうびと・四位や五位 以上の貴族)はもちろん下級役人たちまでが、詰所の傍で立って見ているのも癪に障る。

檳榔毛の牛車
▲檳榔毛の車などは、門小さければ障りてえ入らねば…

中宮定子の前に参上して、なりゆきを申し上げたところ、
「気を遣わずに済む生昌の家だからといって、人に姿を見られないことなどないでしょう。なぜ気が緩んでいたのです」
とお笑いになる。
私が「しかし見知った人ばかりの家ですのに、私たちがバッチリとメイクを決めてオシャレして来たら、逆にびっくりさせてしまいます。
それにしてもこれほどの大邸宅のくせして、牛車が入らない門があるなんて。生昌さまが来たら笑い飛ばしてあげますわ」
と言っているそばから、
「これを中宮定子さまに差し上げてください」
と言って、生昌が硯などを御簾(みす・間仕切りのカーテン)の中へ差し入れて来た。

「まったくもう、なんてみっともない! どうしてあの門はあんな狭い造りになさったのです?」
私がこう尋ねると、生昌は笑って、
「家は身分相応の大きさにしたのですよ」
と答えた。

「しかし門だけを立派に造った人もいたじゃないですか」
と返せば、生昌は、
「おお、こわいこわい」と驚いて「それは于定国(うていこく・中国前漢時代の裁判官で、彼の父が「私は公平な裁判を心がけてきたので、その功徳で子は出世するはずだ。だから立派な車が通られる大きな門を作ろう」と言ったという話がある)のことでしょう。専門の学生でなければ、聞いても理解できるはずのないことです。たまたま私はこの道をかじったことがありますので、これくらいはなんとか判りますけども」
と言う。

中国式の門
▲されど門の限りを高う造る人もありけるはと言へば…

「その道というものも、高が知れたモノですね。ムシロを敷いた上を歩かされましたけれど、皆、地面の穴ぼこに足を取られて騒いでましたし」
こう返すと、生昌は、
「雨が降りましたから、そういうこともあるでしょう。はいはい、また何か言い返されそうですので、これにて失礼します」
と言って立ち去ってしまった。

「どうしましたか。生昌が随分怖れていましたが」
中宮定子がお尋ねになる。
「いえいえ、牛車が門をくぐれなかった件を申し上げただけですわ」
と申し上げて、私は部屋に下がった。

画像引用:ブログ:ノルマ!!(http://sango-kc.blog.eonet.jp/eo/)

雨でぬかるむ
▲雨の降り侍りつれば、さも侍りつらむ…

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