心が満足するもの。
素晴らしい物語絵で、筋書きの素敵な言葉が多く書かれているもの。
物見遊山の帰り、牛車の端から衣装をのぞかせ、お供する男がたくさん連なって、牛を上手く扱う従者が牛車を走らせるのも。
真っ白新品の高級和紙の檀紙(だんし・陸奥紙)に、極細の文字で手紙を書いたとき。綺麗な糸をふた筋合わせて繰ったものも。
サイコロをふたつ振って、同じ目が何度も揃って出るとき。呪文を上手に唱える陰陽師を伴って河原に出て、呪詛のお祓いをしてもらったとき。
夜、目が覚めて飲む水。
ヒマなときにそれほど親しいわけではない人が訪ねて来て、世間話がてら昨今の面白い話やイヤな話や不思議な話を、あれやこれやと、公的な話でも私的な話でも曖昧ではなく、聞きやすく話してくれるのは、とても気持ちが晴れるものだ。
神社や寺に詣でて祈祷をしてもらうときに、寺ならば僧侶、神社なら禰宜(ねぎ・宮司の補佐役)といった人たちが、思っていたレベル以上に私たちの願い事を、はっきりとよどみなく速やかに唱えてくれたときもそう。
檳榔毛(びろうげ・第8段の写真参照)の牛車は、ゆっくりと走らせるのが良い。急いで走らせると重々しさが欠けるから。
網代車(あじろぐるま・屋形に竹やヒノキの網代を張った牛車・画像参照)は、スピードを出したほうが良い。
門前を通りかかった牛車が、確認する暇もなくすぐに通り過ぎて行って、お伴をしている従者の走る姿だけが見えるのを、
「今の車は誰が乗っていたのかしら」
と想像するのが楽しいのだ。
のろのろと進むようでは、てんでなってない。
画像引用:wikipedia/663highland(http://urx3.nu/pJ4k)