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第8段◆大進生昌が家に【後編】

  恋愛不器用な男をあざ笑う話?

恋愛宮廷サロン

同じ部屋の若い女房たちと一緒にいたため、何が起きているのかも知る由もなく、睡魔に負けて皆寝てしまった。
私たちがいた部屋は東棟の西側の廂の間で(ひさしのま・写真参照)、北側の部屋に続いていたのだけれど、隔てる障子に鍵も掛けてなかった。戸締りの確認をしていなかったこともあり、生昌は家の主人なだけあって勝手知ったる我が家とばかりに障子を開けたのである。

やけにしわがれた騒々しい声で「入っていいですか。入っていいですか」と何回も言うので驚いて見てみると、几帳の後ろに立ててあった燭台の光がまざまざと彼の姿を照らしていた。彼は障子を15cmほど開けて、声を掛けていたのだ。
これは傑作。生昌はこんなナンパめいた振舞いなど絶対しない男なのに、中宮定子が我が家にお越しになられた名誉に浮かれて気が大きくなり、はっちゃけちゃったのだろうと想像すると、これまた傑作だ。

寝殿造
▲東の対の西の廂、北かけてあるに、北の障子に懸金もなかりけるを…

傍で寝ていた女房を揺り起こして、
「あれ見てよ。不審者がいるわ」
と言うと、女房は頭を上げてそっちを眺め、大笑い。
「あれは誰?夜這いしているの?」
と問うたところ、生昌は、
「違うんです! この家の主として、この部屋の責任者であるあなたに相談したいことがあるのです」
と答えた。
「さきほど門のことに関しては申し上げましたけれど、障子を開けてくださいだなんて言いましたっけ?」
と私が返せば、
「いえ、でもでも、その件に関してもお話しをしたいことが。そちらに入っていいですか。入っていいですか」
と言ってくるので、若い女房が、
「見苦しい恰好をしているのに。ダメに決まっているじゃないの」
と笑い声を上げた。

「若い人がいらっしゃったのですね」
生昌はこう言って障子を閉め、立ち去ったのだった。もう笑いが止まらない。障子を開けるくらいなら、黙って入ってくればいいのに。入室許可を求められたって、はいどうぞだなんて女性の立場で言えるはずないじゃない。ホントに笑える。

眠る女性
▲傍らなる人をおし起こして、かれ見給へ。かかる見えぬもののあめるはと言へば…

翌朝、中宮定子の前に参上して報告すると、
「そんな遊び人のような噂、聞いたことがない人なのに。昨夜のあなたの切り返しに感心して部屋まで行ったのでしょうね。あらあら、こてんぱんにしてしまったようで、可哀想なこと」
とおっしゃって、お笑いになる。

脩子内親王(しゅうしないしんのう・一条天皇の第一皇女)に仕える女の子の着物を新調するようにと、中宮定子から命じられた際だって、生昌は、
「この衵(あこめ・女児の中着)の上から着るヤツは何色にしましょう」
だなんて尋ねるものだから、女房たちがまた笑いものにするけれど、それもしょうがない。
(※注…汗衫(かざみ・女児の上着)という単語を知らなかった)

さらに生昌は、
「姫宮の御膳の食器は、大人用のいつもの大きな食器だと宜しくないでしょう。ちんめえ折敷(おしき・お盆)に、ちんめえ高坏(たかつき・脚のついた皿)とかが宜しいかと」
なんて言う始末で、
「それなら上から着るヤツを羽織った女の子も、さぞかしお仕えしやすいでしょうね」
と返したところ、中宮定子が、
「ほらほら、普通の人と同じように生昌を笑い者にしてはいけません。彼は愚直なほど真面目なのだから」
と気の毒そうに言うのもまた面白いことだ。

漆器
▲姫宮の御前の物は、例のやうにては悪気に候はむ。ちうせい折敷にちうせい高杯などこそ、よくはべらめ…

どっちつかずな時にやって来ては、
「生昌さまが何を置いてもまずお話し申し上げたいと言っている」
と取次ぎの女房が言うのを中宮定子がお聞きになられて、
「またどんなことを言い出して清少納言に笑われようというのかしら」
とおっしゃるのも可笑しい。
「行って聞いてらっしゃい」
とのお達しなので、わざわざ出て行ってみると、
「あの夜の門のことを兄の惟仲(これなか・生昌の異母兄)に話したところ、大層感心しまして、『なんとか機会を設けて、ゆっくりと会って語らいたいものだ』と申していました」
と言うだけで、それ以外に何もない。あの夜の夜這いのことでも言い出すのだろうかとドキドキしたのに、
「ではこれで。そのうちまたお部屋に伺いますので」
と言って帰ってしまった。

中宮定子の前に戻ったところ、
「何だったの?」
とおっしゃる。生昌が言ったことを、こうこうこうだったと説明すれば、
「わざわざ訪ねて来て呼び出すほどの話ではないわ。中宮定子さまにお仕えしていない時とか、部屋に下がっている時に言えば済むことよね」
と女房たちが言って笑ったので、中宮定子は、
「いいえ。自分が尊敬する惟仲が褒めたのだと清少納言が知ったら、喜ぶに違いないと思って、わざわざ報せに来たのでしょう」
とおっしゃる。生昌を思いやる中宮定子のそのご様子は、なんとも素晴らしい。

画像引用:国文学研究資料館・古事類苑居處部二(http://base1.nijl.ac.jp/infolib/meta_pub/G0035940kjr)

男性
▲一夜のことや言はむと心ときめきしつれど、今静かに御局にさぶらはむとて去ぬれば…

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