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第35段◆小白河といふ所は【後編】

  貴公子のナンパの話と思いきや

宮廷サロン日常悲哀

藤原義懐が、
「誰が乗っている牛車なのだろう。誰か知らないですか」
と不思議がり、
「では和歌を詠んで次は送ってみよう」
などとおっしゃっているうちに、説法の講師が壇上に上がったので、皆静かに居直る。
講師の方ばかり見ていたら、車はいつの間にか掻き消すようにいなくなっていた。

その牛車の簾は新調したばかりのように見えたし、濃い色の単襲(ひとえがさね・単衣の重ね着)、二藍の織物そして蘇芳(すおう・写真参照)の薄物の上着、そして牛車の後ろ側にも模様を摺りだした裳(も・表着の上で腰に巻くもので後ろに裾を長く引く)をそのまま広げて垂らしてあった。
誰なんだろう。さっきのそっけない返事のやりかたにしたって、中途半端に気を持たせるような返事をするよりかはよほど良いように思える。

蘇芳
▲下簾などただ今日はじめたりと見えて、濃きひとへがさねに、二藍の織物、蘇枋の薄物の表着など

朝の説法の講師だった清範(せいはん・法相宗の僧侶)は、高座の上に光が満ちたかのようなありがたさがあって、とっても素晴らしかった。
甚だしい暑さに加えて、たった今日一日ですら放置できないやりかけの仕事を放り出して出席したものだから、ほんの少しだけ説法を聞いてすぐに帰ろうと思っていたんだけれど、牛車の大混雑で出て行くこともままならなかったわ。

だったら朝の説法が終わったら帰ることにしようと、前の方に停まっている牛車に声を掛ける。すぐそばのスペースが空くのが嬉しいのか、
「早く、早く」
と牛車を移動させている様子を見ていた年輩の上達部でさえ、たいそう大声で笑って私の退出を咎めるの。それを無視して返答もせず、無理矢理に窮屈なスペースから出たところ、義懐が、
「おやおや、帰るのも良いことさ」
とにっこり微笑んだのは気の利いたひとことだったわ。

僧侶
▲朝座の講師清範、高座の上も光満ちたる心地していみじうぞあるや。

彼のその言葉をしっかり聞くことができないまま、暑さにげんなりしながら退出。義懐のもとへ人を遣って、
「釈尊が説法しようとしたときに、五千人の信者たちが既に悟りを得ていると自惚れていたために説法を聞こうとせずに立ち去ったけれど、あなたもこの五千人の中に入る事態になるかもしれませんからね」
とだけ伝えて、私は帰ったのね。

ちなみに八講の初日から最終日までずっと停まっていた牛車があったのだけれど、誰か人が寄って来るわけでもないし、絵に描いたかのようにまるで何の動きもないの。
それがまた奥ゆかしくて素晴らしく思えたのかしら、義懐はどんな人が牛車に乗っているのか、どうすれば正体を突き止められるか、あちこちで訊き回っていたのだけれど、藤原為光が、
「どこが素晴らしいんだか。ばかばかしい。絶対変な人が乗っているに違いないさ」
と言っていたのがおかしかった。

照りつける日射し
▲それも耳にもとまらず暑きに惑はし出でて、人して「五千人の中には入らせ給はぬやうもあらじ」と聞えかけて帰りにき。

そんなことがあったその月の二十日過ぎ。
義懐が出家して僧侶になってしまったのは、なんとも悲しいこと。桜の花などが散る悲しさは世の常だから我慢もできるけれど、こればかりは…

「しら露の置くを待つ間のあさがほは みずぞなかなかあるべかりける」
(※白露が下りてすぐ消える僅かな間の朝顔の花なんて、いっそ見なかった方がよかった)
と世間では言われているものの、それでも立派な彼の姿は見る価値のある素晴らしいものだったと思う。

朝顔
▲置くを待つ間のとだに言ふべくもあらぬ御有様にこそ見え給ひしか。

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