
二十日あたりで雨が降ったけれど、雪山が消えそうな感じはせず。少しだけ高さが減ったくらいかしら。
「白山(はくさん・石川岐阜県境の山)の観音さま、この雪山が溶けてしまいませんように」
と祈っちゃうのも、なんだか我ながら頭おかしい。
で、雪山を作った日に遡るんだけれど、帝のお遣いで式部省(しきぶしょう・人事と大学寮を司る役所)の補佐官である源忠隆(みなもとのただたか・第9段で登場)が参上してきたの。座布団を差し出して話をしたんだけれど、
「今日はどこもかしこも雪山を作ってますね。帝がおられる清涼殿の中庭でも作らせておられました。春宮(とうぐう・皇太子)のお住まいにも弘徽殿(こきでん・清涼殿の北隣にある中宮の部屋)にも。京極殿(きょうごくどの・藤原道長(ふじわらのみちなが)の屋敷)でも作らせていましたよ」
なんて言うの。
だから私は、
ここにのみめづらしと見る雪の山 所々にふりにけるかな
(雪山はここだけでしか作ってないと思っていたけれど、あちこちで作ってて全然珍しくもなんともなかったのね)
と詠んで、そばにいた女房を介して伝えたところ、彼は何度も首を捻って考え込んだ結果、
「私の返歌では、あなたの歌の価値を汚してしまいますから、遠慮いたしましょう。これはイイ歌です。御簾(みす・間仕切りのカーテン)の前で、女房のみなさんに披露しましょう」
と言って離席したのよ。
彼は和歌を大層好む人だそうなのに、返歌しないというのはどうも変よね。中宮定子はこの話をお聞きになって、
「よほど素晴らしい歌だと感じたのでしょうね」
とおっしゃったわ。
大晦日近くになると、雪山は少し小さくなった感じね。でもまだかなりの高さがあった。
それで昼あたりに人々が縁側に出て来て座っていたら、あの尼僧の常陸介が登場したの。
「なぜ長らく姿を見せなかったの?」
って尋ねたところ、
「別にぃ。イヤなことがあったってだけです」
と答える常陸介。
「何? 何?」
って聞いたら、
「まあ、こんなことを考えてましたのよ」
と言って、今度は朗々と歌を詠み出したわ。
うらやまし足もひかれずわたつ海の いかなる人に物賜ふらむ
(なんてうらやましい! 重さで足が動けなくなるくらいたくさんの物をもらったあの尼がうらやましい!)
皆は嘲笑するだけで、もはや相手にしなくなっちゃった。
常陸介は雪山に登ったり歩きまわったりして、結局帰って行ったんだけど、あとで右近の内侍に、
「常陸介が来てこんなことがあったの」
と言ったら、
「どうして誰かに命じてこちらに来させなかったの~。和歌まで披露したのに無視されて、いたたまれずに雪山に登ったり徘徊してたなんて、悲しいじゃないですかー」
と言って来たので、笑っちゃった。
そんなこんなで雪山は特に変化なく、年が明けたわ。
元日の夜、雪が再びたくさん降ったので、嬉しいなぁ、山にまた降り積もったと思って見ていたら、中宮定子が、
「これは反則。最初に積もっていた雪を残して、今回積もったぶんは除雪して」
とおっしゃる!
夜が明けて早朝、局に下がったとき、中宮職(ちゅうぐうしき・后妃に関わる事務などを扱う役所)の侍の長である者が、ユズの葉のような緑色の宿直衣(とのいぎぬ・宿直する際に着用する服)の袖の上に、松の枝に付けた青い紙の手紙を置いて、ぶるぶる寒さに震えながら出てきた。
「それは、誰からの手紙なの?」
と尋ねたら、
「斎院(さいいん・賀茂神社の祭祀に奉仕した未婚の内親王)からです」
と答えたので、即座に素晴らしいって思って、中宮定子のところに戻ったのよ。