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第87段◆職の御曹司におはします頃、西の廂にて【その1】

  賭けに勝ったのはどっち?

日常宮廷サロン

職御曹司(しきのみぞうし・中宮職の庁舎。第49段の写真参照)に中宮定子がいらっしゃったころの話。
西の廂の間第8段の写真参照)で、読経が昼夜ずっと続けられたことがあってね。仏様の絵などを掲げて、僧侶たちが拝んでいるんだけれど、これはまあいつものこと 。

二日目あたりだったかしら、縁側から身分の低い者が、
「あのお供え物のおさがりを分けてください」
と言う声がしたの。僧侶たちは、
「んなことできるか! まだ法要の途中なのに」
と返事していたんだけれど、何てことを口走ってるんだろうと、立ち上がって寄って見てみれば、いくぶん老けた尼僧が、めちゃめちゃ汚らしい狩袴(かりばかま・狩衣の下に着る袴)姿で、しかも竹筒みたいに細くて短いのを穿いている。

帯から下も五寸(約15cm)ほどしかなくって、「これが服!?」って思っちゃうくらいのやはり汚らしい物を着ていて、もはやサル同然みたいな人が喋ってたのよ。

猿
▲猿さまにて言ふなりけり。

「あの人、何を言ってるの?」
と私が聞いたところ、
「『私も仏様の弟子です。だから仏様のお供え物のおさがりを頂きたい』と頼んだんだけれど、このお坊さんたちが出し惜しみするのです」
って答える。

その様子はパアッと明るくて、上品ですらあったわ。こういう物乞いは、しょんぼりしているほうが哀れさを誘うものなのに、いやに華やいでいるなあと思って、
「他の物は食べずに、仏様のおさがりだけを食べてるんですね! なんて素晴らしい心がけなんでしょう!」
とからかってみると、私の意図を察したのか、
「そんなまさか! 他の物を食べないワケないじゃない! 食べものがないからこそ、おさがりを頂くのに」
と言う。

果物や薄く伸ばした餅などを、容器に入れてあげたんだけど、すると妙に馴れ馴れしくなって、べらべら喋り始めたわ。

柿
▲くだもの、ひろき餅などを、物に入れて取らせたるに…

若い女房たちも出て来て、
「ご主人は?」
「子供はいるの?」
「どこに住んでるの?」
などと口々に尋ねたところ、面白いことや冗談までも言うので、
「歌を歌える? 舞を踊ったりは?」
なんて訊いてみれば、尋ね終わらないうちから、
「夜は誰と寝よう。常陸介(ひたちのすけ・茨城県知事)と寝よう。添い寝した肌がステキ~♪」
と歌い始めて、これがまた長い。

また、
「男山の紅葉のように、さぞかしプレイボーイで鳴らしたんでしょ。さぞかし乾く暇がないことでしょうよ~♪」
頭をぶんぶん振りながら歌う。

あまりに変態チックなひどい歌で憎たらしいので、笑えるんだけどムカついてきた女房たちが、
「もう帰れ帰れ」
と口にするほどだったわ。でも私はね、
「可哀想よ。この尼さんに何かあげたらどう?」
って言ったの。

絶唱する女と呆れる人たち
▲「男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つや、さぞ名は立つや」と頭をまろばし振る。

それを聞いた中宮定子は、
「最悪…どうしてこんなみっともない歌を歌わせたの? 聞いてられなくって、耳を塞いでたわ。その服を一枚くれてやって、早く出て行かせなさい」
とおっしゃられたわ。

「これを与えよう。服が汚れているんだから、この白い服を着なさい」
と言って投げてやると、尼僧ったら伏し拝んで、いっちょまえに服を肩に掛けて拝礼の舞いを舞ってるし!
みんな心底バカバカしくなって、部屋の中に入ってしまったわ。

その後も、ここに来れば餌をもらえると学習したのか、いつもわざと目立つようにうろうろするようになってしまったのよねー。
尼僧は、あの歌から常陸介ってアダ名がついちゃった。服も白くならず、前と同じ汚らしい服を着ているので、
「あの服はどうしたのよ?」
と皆で言い合っては小憎らしく思うわけよ。

白い服をきた女
▲これ賜はするぞ。衣すすけためり。白くて着よとて…

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