思い人が訪ねて来るのならもちろん、ただ語り合うだけの間柄の人でも、もしくはそうでなくてたまたま訪ねて来た人でも、御簾(みす・間仕切りのカーテン)の中に大勢人がいておしゃべりをしているところに座り込んでしまっているので、すぐには帰りそうもないとき――
お供をしている家来・男児が、なんやかんやと中の様子を覗き見ては、
「こりゃ斧の柄が朽ちてしまうほど時間がかかりそうだなあ」
と大層めんどくさそうな顔で、長々と大あくび。
聞こえやしないだろうと小声で言ったつもりなんでしょうけれど、
「あー、ツライ。煩悩で苦悩するってのはまさしくコレだ。夜も更けて夜中になってしまうじゃないか」
なんて言ってたりするのは、まったく気に食わない。
そんな愚痴を言う本人に関しては別にどうでもいいんだけれど、この家来の主人である御簾の中にいる人のことを、これまでステキだなと見たり聞いたりしてきた気持ちが吹き飛んでしまうわ。
またそれとはっきり言葉に出すのではないけれど、
「あーあ」
と声高にうめいてみせるのも、「下行く水の…」の和歌の気持ちなのかと察せられてお気の毒。
(※「心には下行く水のわきかへり いはで思ふぞいふにまされる」 ◆心の内では、水が湧きかえるように思うことがたくさんある。言わずに内に籠めた思いは、口に出す思いより強いものだ)
衝立や、透垣(すいがい・写真参照)などのそばで、
「雨が降りそうだなー」
とか聞えよがしに言っているのも超ウザい。
逆に特に高貴な人のお供をするような人には、そんな振舞いをする者はいない。摂関家の若君のお供のレベルも、悪くはないわね。
でもそれ以下の身分の人に仕えるお供は、皆あんな感じでダメ。
大勢抱えている家来の中でも、その人の性質をしっかり見極めて、お供に連れて行ってもらいたいものね。
めったにないもの。
舅に褒められる婿。また姑に良く思われる嫁。毛がよく抜ける銀製の毛抜き。主人を悪く言わない家来。
完全無欠な人。見た目も内面も行動も優れていて、世間づきあいを重ねても全くボロを見せない人。
同じ所に住んでいる人同士が、お互いに気兼ねして全く隙を見せないように心を配っていても、ずっと最後までボロを見せずに通すことは難しいものよ。
物語や歌集などを書写するとき、本を墨で汚さない人。貴重な本とかだと細心の注意を払って書写するけれど、必ず汚しちゃうのよねえ。
男と女のことに関しては今更書きたてるのも愚か。
女同士だって「ズッ友だよ!」って誓い合って付き合ってても、最後まで仲が良いままだなんて、ほとんどありえないくらいなんだから。